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東京地方裁判所 平成7年(刑わ)1405号 判決 2000年7月25日

主文

被告人を死刑に処する。

理由

(被告人の身上経歴及び教団との関係)

被告人は、昭和四二年三月二三日、東京都調布市内において、新聞の折込広告の配送業を営む父丙原一郎、母花子の長男として出生し、東京都多摩市内の小学校、中学校を経て、昭和五七年四月都立狛江高等学校へ進学し、同校を卒業した後、一年間の受験準備期間を経て、昭和六一年四月早稲田大学法学部へ入学した。

同大学二年生の昭和六三年三月ころ、被告人は、オウム真理教(以下「教団」という。)に入信していた高校時代の友人から教団の話を聞かされたのを契機として、関連書籍を読んだりするうち、次第に教団の主張に興味を抱くようになり、同年五、六月ころには、教団主催のセミナーと称する行事に参加するようになった。被告人は、当初は必ずしも教団やその教祖乙川次郎こと乙川次郎(以下「乙川」ともいう。)を全面的に信じていたわけではなかったが、その後、業と輪廻、そこからの脱却たる解脱、悟りを説く教義に急速に惹かれ、昭和六三年七月に入信し、同年一二月三〇日には出家と称する教団中心の生活に入った。出家に際して親許を去るに当たっては、両親から思いとどまるよう必死の説得を受けたが、被告人は、教義に従って人生を修行にかけるとの気持ちが強く、両親の説得を振り切る形で出家を強行した。被告人は、出家後は、教団内で起居し、修行と称する宗教活動を行う一方、命ぜられるままにワークと称する教団のための作業に従事していた。

教団は、昭和五九年二月オウム神仙の会として発足し、昭和六二年七月オウム真理教と改称し、平成元年八月宗教法人として設立登記された宗教団体であるが、本件各犯行当時、教団内においては、創始者である教祖の乙川が絶対的な存在であり、目的のためには手段を選ばず、乙川自身が必要と認めれば殺人行為さえも正当化されるという独自の教えを背景として、信者らに対し、さまざまな犯罪行為を指示しており、信者らは、その指示に従ってこれを実行していくという状況にあった。被告人も、このような状況の下で、指示されるまま本件各犯行に関与することとなったものである。

第一  坂本弁護士一家殺害事件

(犯行に至る経緯)

(1)  被告人が出家した昭和六三年ころから、多くの年若い教団信者が被告人と同じように出家して教団内で起居するようになったが、教団は、これらの出家信者について、修行の妨げになるとして家族と連絡をとることを禁じていた。このため、出家した信者の親達の中には、教団の教義や修行内容に疑念を抱いて子供の消息を案ずる者が多く、かたくなに出家信者と親達との接触を拒む教団との間で種々のトラブルが生じ始めていた。また、教団は、平成元年三月、宗教法人化に必要な教団規則の認証を東京都知事に申請したが、教団組織の強化につながる右認証を阻止しようとする教団信者の親達と、早く右認証を行うように求める教団とが、それぞれ活発な運動を展開していた。

(2)  乙川は、平成元年八月、教団規則の認証を受けて教団の宗教法人化に成功したが、そのころから政治的権力を獲得すべく、平成二年に行われるとみられた衆議院議員の総選挙に出馬することを決め、教団幹部らに選挙の準備を進めるよう指示した。被告人は、当時、教団の広島支部で本の販売などの作業に従事していたが、東京方面に呼び戻されて教団の選挙活動を手伝うようになった。

(3)  坂本太郎は、横浜弁護士会に所属する弁護士であったものであるが、平成元年五月、教団信者の母親から相談を受けたことがきっかけで教団の存在を知り、親達の依頼により教団信者らを親許に戻すための活動を始め、同年六月には、同僚の弁護士らとオウム真理教被害対策弁護団(以下「被害対策弁護団」という。)を結成した。被害対策弁護団は、教団の実態の調査、教団信者の家族の組織化、教団側との交渉など種々の活動をしたが、坂本弁護士は、その中心となって最も熱心に活動していた。その結果、多数の教団信者の家族が集うようになり、教団がイニシエーションと称する儀式について信者に高額の金員を支払わせていることなどその問題点が明らかとなっていった。

(4)  その後、平成元年一〇月、一週刊誌が教団信者の親達から取材するなどした上、「オウム真理教の狂気」と題して、教団の活動を批判する内容の特集記事を掲載したが、これを契機として教団の問題がマスコミにも取り上げられるようになった。乙川や教団幹部らは、このような報道は教団に対する誹謗中傷であるとして、関係者に対し、種々の抗議行動やいやがらせを行い、また民事訴訟を提起するなどして対抗した。

(5)  一方、平成元年一〇月二一日、教団信者の親達で構成されるオウム真理教被害者の会(以下「被害者の会」という。)が発足したが、被害者の会は、被害対策弁護団の指導のもとに、教団信者を親許に戻して教団を脱会させることを目標に掲げ、教団規則の認証取消しを東京都に求めること、教団の犯罪的な行為を明らかにしていくこと等の活動を展開していくこととなった。また、坂本弁護士は、同月一六日にはラジオ番組に電話出演し、同月二六日にはテレビ番組で放映するためのインタビューを受け、それぞれ教団の問題点を指摘し、教団を厳しく批判する内容のコメントをした。教団は、かねてより被害対策弁護団や被害者の会の動きを密かに探っており、坂本弁護士の右のような活動状況は、教団幹部らを通じて、乙川に報告されていた。

(6)  平成元年一〇月三一日、教団所属の弁護士A(以下「A」という。)と教団幹部B(以下「B」という。)、同C(以下「C」という。)の三名は、坂本弁護士の所属する横浜法律事務所を訪れ、同弁護士と会って教団の修行内容や教団信者の処遇について話し合ったが、話し合いは平行線のままに終わり、帰り際には、Bと坂本弁護士が言葉の応酬からにらみ合う一幕もあった。その晩、乙川は、教団幹部らとともに、Aの報告を聞いたが、Bからは、坂本弁護士は全く教団を理解することができない人物である旨の話があった。乙川は、坂本弁護士が単に特定の教団信者の家族の代理人という立場にとどまらず、被害者の会を組織して実質的にこれを動かすとともに、教団を厳しく批判していることを知り、このまま同弁護士の活動を放置すれば、教団にとって由々しい事態を招くことは必至と考え、もはや一刻の猶予もできないと強い危機感を抱いたが、抗議行動やいやがらせが通じる相手でもなかったところから、かくなる上は、同弁護士を殺害してその活動を停止させるほかはないと決意するに至った。

(7)  乙川は、平成元年一一月二日から三日にかけての夜、静岡県富士宮市人穴<番地略>所在の富士山総本部と称する教団施設内にあるサティアンビル四階の乙川の居室に、C、教団幹部D(以下「D」という。)、同EことF(以下「F」という。)、同G(以下「G」という。)及び教団所属の医師H(以下「H」という。)を呼び集め、同人らに対し、被害者の会を実質的にまとめているのは坂本弁護士であり、同弁護士をこのまま放っておくと将来教団にとって大きな障害となるので、これ以上悪業を積ませないためにも今ポアしなければならないなどと述べ、同弁護士を殺害するよう指示し、これを聞いたCらは、乙川の意図を理解し、その指示に従って行動することを決意した。そして、乙川は、帰宅途中の坂本弁護士を殴って気絶させ、車内に押し込んで、Hが用意している薬物を注射すればすぐに死ぬなどと殺害方法を説明した。その際、注射を打つためには、坂本弁護士を気絶させる役割を担当する者が必要であり、その人選が問題となったが、乙川は、同年一〇月に教団内で開催された武道大会の空手部門で優勝し、その後乙川の身辺警護をする警備班の一員となっていた被告人に目をつけ、この役割を担当させることとした。さらに、乙川は、Fに対しては坂本弁護士の住所を調べるように、Dに対しては犯行に使用する車を用意するようにそれぞれ指示した。右謀議が終わってCらが乙川の居室を出た後、Cは、同じ施設内にいた被告人を自分の部屋に連れていき、坂本弁護士という人物をポアするので、被告人は同弁護士を殴り倒す役割を担当すべきことなどを指示した。これを聞いた被告人は、乙川らが坂本弁護士を殺害しようとしており、自分がその実行メンバーに加えられたことを理解し、その指示に従うことを承諾した。

(8)  平成元年一一月三日朝、Fが坂本弁護士の自宅の住所を調べて乙川に報告すると、乙川は、変装して実行に移るようF及びDに指示し、教団幹部のPに資金を用意させた。そして、Hは、Dに指示されて、坂本弁護士に注射する塩化カリウムの飽和溶液を作るなどした。その後、被告人らは、ビッグホーン及びブルーバードという二台の車に分乗して出発し、その途中で、注射器三本に塩化カリウムの飽和溶液を入れたり、坂本弁護士方付近の地図を購入したり、車に無線機のアンテナを取り付けたり、変装用具をそろえたり、服を購入して着替えたりするなどしてそれぞれ準備を整え、夕方ころには、横浜市磯子区洋光台所在の坂本弁護士方付近に到着した。そして、被告人らは、同弁護士方の下見をした後、その帰宅を待ち構えることとし、C及びGは、ブルーバードで同弁護士方の最寄り駅である洋光台駅前で待機し、被告人ら残りの四名は、ビッグホーンを同弁護士方付近路上に駐車させて車内で待機した。しかしながら、同弁護士が一向に現れなかったため、業を煮やしたCが被告人に坂本弁護士方へ電話を掛けさせたが、電話には誰も出なかった。その後、Fが坂本弁護士方に行ってみると、明かりがついており、玄関ドアには鍵が掛かっていないことが確認された。

(9)  洋光台の駅前で待機していたCは、Fから右のような坂本弁護士方の様子を聞き、乙川に電話をかけて、状況を報告するとともに指示を仰いだ。すると、乙川は、帰宅途中を襲って坂本弁護士を殺害するという当初の計画を変更し、遅い時間まで待って寝静まったころ、同弁護士方に押し入って家族ともども殺害すべき旨を指示した。そこで、Cは、その旨をGに伝えるとともに、二人でビッグホーンのところに行って、D及びFと今後の行動を相談した。その結果、最終電車まで坂本弁護士の帰宅を待ってみた上で、午前三時ころに同弁護士方に押し入ることが決まり、その旨被告人及びHにも伝えられた。こうして、C及びGは、再び洋光台駅前へ戻り、被告人ら四名は、引き続き坂本弁護士方付近で待機した。翌四日午前零時過ぎころ、Fは、ビッグホーンを同弁護士方付近の横浜市磯子区洋光台<番地略>所在の駐車場に入れて、再び同弁護士方の様子を探りに行き、部屋の明かりが消えていて、鍵が掛かっていない状態のままであることを確認した上、D及び洋光台の駅前から戻ってきていたCに伝えた。そこで、被告人らは、予定どおり、午前三時ころ坂本弁護士方に押し入ることとし、それまで右駐車場に停めた二台の車の中で仮眠した。

(10)  同日午前三時ころ、被告人ら実行犯六名は、殺害計画を決行するため、まとまって徒歩で坂本弁護士方に向かった。被告人らは、坂本弁護士方の玄関ドアを開けて室内に至り、Cが寝室で坂本弁護士ら家族が寝ており、他の部屋には誰もいないことを確認して合図すると、全員が意を決して寝室内へなだれ込んでいった。

(罪となるべき事実)

かくして被告人は、乙川次郎、C、D、G、F及びHと共謀の上、平成元年一一月四日午前三時ころ、横浜市磯子区洋光台<番地略>の坂本太郎方寝室において、いずれも殺意をもって、

一  仰向けに寝ていた坂本太郎(当時三三歳)に対し、被告人においてその腹部に馬乗りになってその顔面を手拳で立て続けに六、七回強打し、さらに、上半身を起こそうとした太郎に対し、Fにおいてその頸部に右腕を巻きつけて強く締めつけ、その間C及び被告人において太郎の足を押さえるなどし、そのころ、同所において、太郎を窒息死させて殺害し、

二  坂本太郎の妻坂本春子(当時二九歳)に対し、Gにおいてその身体に馬乗りとなり、両手でその口を塞ぎ、必死に抵抗する春子に対し、被告人においてその腹部を膝落としで強打し、D、C及びHにおいてその頸部を強く締めつけるなどし、そのころ、同所において、春子を窒息死させて殺害し、

三  坂本太郎と坂本春子の長男坂本一彦(当時一歳)に対し、Hにおいてタオル様のものをその顔面に被せ、両手で鼻口部を押さえつけ、さらにGにおいてその鼻口部を手で塞ぐなどし、そのころ、同所において、一彦を窒息死させて殺害したものである。

第二 松本サリン事件

(犯行に至る経緯)

(1)  乙川は、教団において毒ガスを生成した上、これを噴霧して人を殺害することを企て、平成五年六月ころ、Dを介して教団信者のJ(以下「J」という。)に対し、化学兵器に使用される毒ガスを研究開発するよう指示した。これを受けて、Jは、化学兵器に関する文献等を調査した上、殺傷能力や製造工程における安全性等を考慮し、毒ガスの一種であるサリンを生成することとした。サリンは、ドイツにおいて開発された有機リン系の化学物質であり、常温では無色無臭の液体であるが、揮発性が高く、ガス化しやすい性質を有しており、これが体内に摂取されると、人の神経伝達機能に障害を与え、呼吸器官の障害、おう吐、全身けいれん、呼吸筋麻痺等の諸症状が現われ、最終的には死に至るという極めて殺傷能力の高い神経ガスである。Jは、教団信者を代表者とする会社を通じ、サリン生成に必要な薬品類を購入した上、山梨県西八代郡上九一色村富士ケ嶺<番地略>の二所在のクシティガルバ棟と称する教団施設においてその生成実験を繰り返し、同年八月にはその生成方法を確立し、同年一一月ころには標準サンプルとしてサリン約二〇グラムの生成に成功した。この間、同年一〇月末ころからは、Dの指示でHらもサリンの生成に関与するようになった。

(2)  乙川は、教団内において密かにサリンの生成に成功したことから、かねて教団と敵対する関係にあると考えていた宗教団体関係者に対し、これを噴霧して暗殺することを企て、平成五年一一月中旬ころ、Dを介しJらに指示してサリン約六〇〇グラムを生成させた上、D及びGらをして暗殺計画を実行させたが、噴霧の方法に問題があったため、失敗に終わった。乙川は、更に同年一二月中旬ころにも、Dを介しJらに指示してサリン約三キログラムを生成させた上、再度D及びGらをして右の暗殺計画を実行させたが、これも同様の事情で失敗に終わり、その際、相手方の警備担当者に気付かれてGらが追跡を受けた上、逃走中のGがサリンを吸入して一時瀕死の状態に陥ることとなった。

(3)  その後、乙川は、平成五年一二月下旬ころ、Dを介しJらに対し、更に大量のサリンを生成するよう指示し、これを受けて、Jらは、平成六年二月中旬ころ、サリン約三〇キログラムを生成し、右サリンは、当初クシティガルバ棟に隣接する第七サティアンと称する教団施設において保管され、同年四月ころからはクシティガルバ棟において保管された。やがて、乙川は、保管中の右サリンを都市部の人口密集地域で噴霧し、その殺傷能力を確かめようと企てるに至った。ところで、教団は、かねてより長野県松本市内に教団施設を建設しようと企て、用地の取得等に努めていたが、教団の進出を警戒する地域住民から反対運動が起こり、民事紛争へと発展していた。そして、長野地方裁判所(以下「長野地裁」という。)松本支部で行われた建築禁止の仮処分手続においては、教団側が一部敗訴することとなり、当初予定していた施設の建築規模を大幅に縮小せざるを得ない事態となっていた。さらに、平成四年五月には、教団が素性を隠して確保した土地について、その元所有者等から教団等に対し、詐欺ないし錯誤のため契約の効力がないとして、土地の明渡し等を請求する民事訴訟が長野地裁松本支部に提起された。右民事訴訟は、審理を重ねた上、平成六年五月一〇日に結審し、同年七月一九日に判決が予定されていたが、乙川は、A弁護士から受けた報告やこれまでの訴訟経過などから、長野地裁松本支部が教団に敵対しているものとみなし、同支部の裁判官らを都市部の人口密集地域において行うサリン噴霧実験の標的にすることとした。

(4)  乙川は、平成六年六月二〇日ころ、山梨県西八代郡上九一色村富士ケ嶺<番地略>所在の第六サティアンと称する教団施設内の自室において、D、G、教団幹部K(以下「K」という。)及びHに対し、長野地裁松本支部にサリンを噴霧することを指示し、同人らはこれを承諾した。また、前記の宗教団体関係者の暗殺計画の際には、相手方の警備員から追跡された教訓を踏まえ、警察官や通行人に発見された場合の対応策が検討されたが、乙川は、邪魔が入ったときの警備役として、武道の心得のあるL(以下「L」という。)及びM(以下「M」という。)を同行させることを指示するとともに、後記のサリン噴霧車の運転を被告人に担当させることを指示した。

(5)  そこで、Dは、コンテナ付き普通貨物自動車のコンテナ上部にタンクを取り付けてその中にサリンを貯留し、運転席からの遠隔操作により右タンクに取り付けた自動開閉式のエアバルブを開いて、サリンを銅製容器に落下させ、右容器底部をヒーターで加熱してサリンを気化させた上、コンテナ内に設置した大型の送風扇を作動させてそれを外部に拡散するといった構造のサリン噴霧車を製作することにし、教団科学技術部門所属のN(以下「N」という。)にその製作を命じ、Nは、他の数名の信者とともにアルミコンテナ付き二トントラックを加工するなどしてサリン噴霧車を完成させた。

(6)  Gは、サリン噴霧車がマニュアル車であることから、被告人にマニュアル車の運転を習熟させるとともに、長野地裁松本支部への道順を覚えさせる必要があると考え、平成六年六月二五日ころ、被告人に他のマニュアル車を運転させて、ともに長野地裁松本支部の下見に赴いたが、その際車内で、被告人に対し、「松本の裁判所にサリンを撒きに行く。」などと言って、長野地裁松本支部にサリンを噴霧するための下見であることを打ち明けた。被告人とGは、南松本駅付近で教団信者から松本市内の住宅地図を入手した上、長野地裁松本支部付近に赴き、その様子を下見するなどした。

(7)  平成六年六月二六日、Kは、Dから、「明日実行するので、松本ナンバーのワゴン車を借りてきてくれ。ついでにヴァジラティッサ師(H)と下見をしてくれ。」と指示を受けたので、Hとともに、事情を知らない教団信者に車を運転させて松本市に行き、同市内のレンタカー業者からワゴン車をK名義で借り受け、これを右信者に第七サティアンまで回送させた。また、K及びHは、長野地裁松本支部などを下見した。

(8)  Gは、平成六年六月二七日出発に先立ち、被告人、L及びMの三名に対し、「これから松本にガスを撒きに行きます。」などと述べるとともに、被告人に対しサリン噴霧車を運転することを指示し、また、L及びMに対し、サリンを撒いている最中に警察などが来て妨害した場合にはこれを排除すべきことを指示した。また、その前後ころ、Gは、被告人及びLに対し、実行犯七名分の作業着、作業帽、ベルト等の購入を指示しており、被告人及びLは、同日午後一時前ころ、静岡県富士宮市内の作業用品店などで、これらを調達した。出発に際し、被告人らは、作業着等に着替え、また、L及びMは、妨害者を排除するのに使用するため特殊警棒をワゴン車に積み込んだ。

(9)  Hは、平成六年六月二六日朝方ないし昼ころ、Dから、明日実行するので、クシティガルバ棟でサリンをサリン噴霧車に注入するよう指示を受けた。そこで、Jから合計約三〇キログラムのサリンが入った容器三個の引渡しを受け、同月二七日午前中から、同棟において、右サリンのうち約一二リットルをサリン噴霧車に取り付けられたサリン貯留用タンクに注入した。また、そのころ、Hは、事情を知らない教団信者らに手伝わせるなどして、自分たちのサリン中毒対策として、酸素ボンベ、ホース、医薬品などを用意して、ワゴン車に積み込んだ。

(10)  被告人ら実行犯は、平成六年六月二七日午後四時ころ、第七サティアン前に集合し、サリン噴霧車(被告人運転、D同乗)及びワゴン車(L運転、G、M、K、H同乗)に分乗して松本市に向けて出発したが、その途中、長野県諏訪市内のディスカウント店「フジ」前で停車した際、Hは、ワゴン車のメンバーに対し、「サリンの予防薬だから飲んでおいて下さい。」などと説明して、サリン予防薬(メスチノン等の臭化ピリドスチグミン、以下「メスチノン」ともいう。)を一錠ずつ配付するとともに、サリン噴霧車のメンバー二人の分をDに手渡した。

(11)  その後、被告人ら実行犯は、長野県塩尻市内の食堂「**」で休憩した際、出発時刻が遅かったため裁判所の勤務時間中に長野地裁松本支部にサリンを噴霧することは不可能であると考えるに至り、噴霧場所を松本市内の裁判所宿舎に変更することとした。そして、被告人らは、松本市内に至り、同市大手一丁目所在のサンリン株式会社駐車場(以下「サンリン駐車場」という。)において、犯行後の逃走方法等について打ち合わせ、次いで、同日午後一〇時前ころ、裁判所宿舎の西方約一九〇メートルに位置する松本市開智二丁目所在のアップルランド開智店西側駐車場(以下「アップルランド駐車場」という。)において、あらかじめ作成しておいた偽造のナンバープレートをサリン噴霧車とワゴン車の正規のナンバープレートの上に貼り付けて偽装した。被告人自身も、他の共犯者が自分たちの車両に偽造のナンバープレートを取り付けているのが分かった。また、Hは、ワゴン車のメンバーに対し、酸素ボンベ、ビニール袋、ホースなどから成る防毒マスクを渡し、酸素が出てくるかどうかを確認させるなどした。Lは、被告人に対し、防毒マスクの存在を教え、被告人の分もこれを準備した。Dは、裁判所宿舎の西方約三七メートルに位置する松本市北深志一丁目の鶴見方西駐車場でサリンを噴霧することに決め、同日午後一〇時三〇分ころ、被告人らは、サリン噴霧車とワゴン車に乗って同駐車場に移動した。

(罪となるべき事実)

かくして被告人は、乙川次郎、D、G、K、H、M及びLと共謀の上、平成六年六月二七日午後一〇時四〇分ころ、長野県松本市北深志<番地略>所在の鶴見方西駐車場において、毒ガスであるサリンを噴霧して不特定多数の者を殺害する計画を決行することとし、被告人においては、サリンの噴霧によって付近住民を死亡させる事態のあり得ることを認識しながらあえてこれを認容して、サリン噴霧車の装置を作動させてサリンを加熱気化させた上、大型送風扇を用いてこれを周辺に発散させ、約一〇分間でサリン約一二リットルのほぼ全量を噴霧し、別表一記載のとおり、同市北深志<番地略>××ハイツ○○○号室などにおいて、伊藤某(当時二六歳)ほか六名をしてサリンガスを吸入させるなどし、よって、同月二八日午前零時一五分ころから午前四時二〇分ころまでの間、右××ハイツ○○○号室などにおいて、サリン中毒により右伊藤ほか六名を死亡させて殺害するとともに、別表二記載のとおり、同市北深志<番地略>河野某方などにおいて、河野某女(当時四六歳)ほか三名をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、同表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり、殺害するに至らなかったものである。

第三 サリンプラント事件

(犯行に至る経緯)

乙川は、教団信者に毒ガスを大量生産させた上、これを噴霧して多数の者を殺害することを企て、判示第二(松本サリン事件)の「犯行に至る経緯」の項(1)記載のとおり、Jに対し、毒ガスの研究開発を指示する一方、平成五年春ころ、Cに対し、山梨県西八代郡上九一色村所在の教団の土地に毒ガスの大量生産が可能な工場建物を建設するよう指示した。右指示を受けて、同年九月ころ、同所に第七サティアンが完成したが、乙川は、Dの進言を受け、そこにJらの研究開発に係るサリンを大量生産する化学プラントを建設することとした。

(罪となるべき事実)

かくして、乙川次郎及び教団所属の多数の者は、共謀の上、サリンを生成し、これを噴霧して不特定多数の者を殺害する目的で、平成五年一一月ころから平成六年一二月下旬ころまでの間、山梨県西八代郡上九一色村富士ケ嶺<番地略>所在の第七サティアン及びその周辺の教団施設等において、第七サティアン内に設置するサリン生成化学プラント工程等の設計図書類の作成、同プラントの施工に要する資材、器材及び部品類の調達、その据付け、組立て、配管及び配電作業を行うなどして同プラントを完成させ、さらにサリン生成に要する原料であるフッ化ナトリウム、イソプロピルアルコール等の化学薬品を調達し、これらをサリンの生成工程に応じて同プラントに投入し、これを作動させてサリンの生成を企てたが、被告人は、乙川及び教団所属の多数の者と共謀の上、平成六年七月ころから右犯行に加わり、同年一二月下旬ころまでの間、右プラントを作動させる作業等に従事するなどし、もって、殺人の予備をしたものである。

(証拠の標目)<省略>

(補足説明)

第一  坂本弁護士一家殺害事件について

一  乙川との直接謀議について

1 争点

検察官は、本件犯行に際し、被告人は乙川に呼ばれて実行犯に加わるよう直接指示された旨主張している。これに対し、被告人は、公判段階において、Cから実行犯のメンバーに加わるように言われたことは間違いないが、その後乙川から直接指示を受けたことはない旨供述している。

被告人は、他の共犯者を介して乙川と共謀があったことを否定しているわけではないので、被告人が乙川から直接指示を受けたか否かは、犯罪の成否にかかわる問題ではないが、本件における訴訟経過にかんがみ、若干の検討を加えておくこととする。

2 証拠の検討

検察官の主張に沿う主な証拠としては、Fの証言(更新手続前の公判供述も便宜「証言」などとして引用する。以下同様。)が存在する。すなわち、Fは、被告人は、乙川の居室における謀議に当初から加わっていたわけではないが、その後呼ばれてやってきたこと、その際乙川が被告人に対し、「おまえは被害者の会の坂本弁護士を知っているだろう。彼をポアすることに決めたんだ。おまえが坂本弁護士を気絶させて車に連れ込んで、その後Hが注射を打つ、いいな。」などと実行犯に加わるよう直接指示し、被告人が「はい、分かりました。」と承諾したこと、乙川が被告人に対し「おまえの腕だったら一発で倒せるだろう。得意技はなんだ。」などと質問していたこと等を詳細かつ具体的に証言しているところである(第一七回公判)。右証言内容に格別不自然なところはなく、この点について、Fがことさらに作為を加えて虚偽を供述していると疑わせる形跡はない。

しかしながら、他方、F自身も、本件謀議の途中で自分がいったん退席したか否かについては、記憶がはっきりしない旨も述べており(第一九回公判)、記憶が薄れている部分もある様子がうかがわれる。

また、Hは、乙川を囲んだ話合いの中には被告人はおらず、被告人と会ったのは、その話合いが終わってサティアンビル一階の階段付近に下りて行ったときであり、この夜乙川が被告人に対し直接指示する場面は目撃していないと証言している(第八一回公判)。

次に、その場に居合わせたとされるCは、謀議の途中で乙川が被告人を呼んで来いという趣旨のことを言い、呼ばれて来た被告人と乙川が顔を近付けて話をしていた記憶があると証言するが、他方、その記憶は必ずしもはっきりしたものではなく、被告人が乙川に対し、得意技は回し蹴りである旨答えていたことは記憶にあるが、それは本件謀議の際ではないとも証言しており(第二〇回、第二一回公判)、Cの証言は、Fの証言を裏付けるものとはなっていない。

さらに、Gは、検察官調書において、謀議の際に被告人と電話で連絡をとったものの、なかなか現れなかったので、乙川が「あとはお前達に任せる。」などと言い出したこと、このためGら五名は、乙川の居室を出て階段を下りて行ったところ、被告人と出会ったので、サティアンビル一階のGらの居室に連れて行き、Cが中心となって被告人に乙川の指示について説明したこと等を供述をしており(甲オ一六六)、Gの供述は、むしろ被告人の弁明に沿うものとなっている。

そして、被告人の捜査段階における供述は、一見Fの証言に沿うものではあるが、その内容は、Cから坂本弁護士殺害のメンバーになるように指示されて承諾した後、「はっきりした記憶はありませんが、乙川教祖の前に行き、乙川教祖から直接、坂本弁護士をポアするように言われたような気もします。」(乙オ一)などという曖昧なものであって、具体的な記憶に欠ける嫌いのあることを反映したものとなっている。

ところで、被告人は、公判段階において、Fの証言を否定するとともに、本件謀議の直近である平成元年一〇月後半ころ、Cから呼ばれて東京都杉並区荻窪所在のグリーンクロフトガーデンの乙川の居室に行ったところ、そこにはFも居合わせており、被告人と乙川が腕相撲をしたこと、その際乙川から「お前はグルの言うこと何でもできるのか。」などと聞かれて肯定し、また乙川から「お前は一発で倒せるのか。得意技は何だ。」などと聞かれて「はっ。回し蹴りです。」などと答えたこと等を供述している(第六〇回公判)。弁護人は、Fの証言は、右グリーンクロフトガーデンでの出来事を本件謀議の際の出来事と混同している疑いがある旨を指摘しており、Fの証言する場面と被告人の供述する場面が空手の話題に関し類似していること等にかんがみると、本件証拠上、そのような可能性もあながち排除されない状況にある。

さらに、被告人は、公判段階において、自ら殺害行為に関与したことを含め、本件公訴事実を基本的に認めているものであり、乙川から直接指示を受けたか否かに関してのみ、ことさらに虚偽の供述をすべき合理的な理由も見出し難いところである。

3 結論

以上のような本件における具体的な証拠関係に照らすと、乙川との直接謀議を認定するのは相当でない。したがって、本件に関する乙川と被告人との共謀関係は、Cらを介して順次形成されたものと認めた次第である。

二  家族構成に関する認識について  1 争点

検察官は、坂本弁護士方に立ち入る前に被告人が同弁護士一家の家族構成を明確に認識していた旨主張する。これに対し、被告人は、公判廷において、同弁護士方に立ち入る前にはその家族構成は念頭になく、知らなかった旨供述している。

被告人は、公判廷において、坂本弁護士方にいるのは同弁護士一人だけであると考えていたわけでもないが、他方明確に妻子がいると分かっていたわけでもないと供述している。このことと関係証拠上明らかな当時の状況とを併せて検討すれば、坂本弁護士方に立ち入る時点において、被告人を含め共犯者らの間において、もし家族がいるのであれば同弁護士を家族もろとも殺害する旨の犯意が形成されていたことは、これを認めるに十分である。したがって、坂本弁護士方に立ち入る時点において、被告人が坂本弁護士一家の家族構成を明確に認識していなかったとしても、被告人の坂本春子及び坂本一彦に対する殺意の認定が妨げられるわけではなく、右の点は、いずれにせよ犯罪の成否に影響するものではないが、本件における訴訟経過にかんがみ、若干の検討を加えておくこととする。

2 証拠の検討

検察官の主張に沿う主な証拠としては、Fの証言及びHの検察官調書が存在する。

すなわち、Fは、待機中のビッグホーン車内において、Dが被告人に対し、坂本弁護士の写真やプロフィールが載っており、その家族構成も分かる所属弁護士事務所の小冊子を見せていたこと、その後CがFとDに対し「坂本弁護士がこのまま帰らなかったら、家の中に押し入って家族ともどもやる。」という乙川の指示を伝えてきたので、DもしくはF又はその両名がビッグホーンの車内にいた被告人とHに対し、もし帰ってこなかったら家に押し入って家族ともども又は三人を殺害するなどと伝えたこと、その際Hが「子供までやるんですか。」というようなことを言っていたような記憶もあり、被告人も驚いていたと思うこと等を証言している(第一七回、第一九回公判)。

また、Hは、検察官調書において、坂本弁護士方の様子を見に行ったFがHに対し、「三人いる。」又は「家族もいるようだ。」などと知らせてきたこと、他の者がビッグホーンの外で善後策を相談している際、Hと被告人は、ビッグホーンの車内で「本当にやるの。子供がいるんでしょ。」などと話した記憶があること、その後DかCがHらに対し「家の中へ押し入って、三人ともやる。」と言ってきたこと等を供述している(甲オ一五七、一五八)。

これらは、一定の具体性をもった供述であり、それなりの迫真性を備えているともいえる。

しかしながら、Fの証言が本件証拠上確かな裏付けに欠けていることも、否めないところである。また、Fの証言中に登場する横浜法律事務所創立二五周年記念「四半世紀を歩んで」と題する小冊子中、坂本弁護士に関する部分(甲オ一六八)には、坂本弁護士の写真及び同弁護士が同僚弁護士と写っている写真はあるが、坂本弁護士の家族写真はなく、その家族構成に関する記載も必ずしも目立つものではないのであって、この小冊子を一覧すれば、直ちに坂本弁護士の家族構成が印象付けられるというような体裁にはなっていない。しかも、Fの証言によっても、小冊子を見た時点では、路上で坂本弁護士だけを襲うという当初の計画に従って事が進んでいたとされているのであるから(第一九回公判)、同弁護士の家族構成に関心を寄せるべき状況は、特に存在しないことになる。F自身も、この写真で帰宅途中の坂本弁護士が見分けられるかということ以外には、小冊子の内容に関して被告人と会話した記憶はないと証言している(第一九回公判)。さらに、Fの証言によっても、DもしくはF又はその両名が被告人らに伝えたとされる三名殺害に関する指示は、「もし、帰ってこなかったら、家に押し入って家族共々やるか、三人を殺害するということを言っていたはずです。」(第一九回公判)などというのであって、具体的な家族構成や家族の人数に言及したか否かについては、必ずしもはっきりしない内容となっている。また、Fの証言中、Hが「子供までやるんですか。」というようなことを言っていたような記憶もあり、被告人も驚いていたと思うとの部分については、F自身も、記憶がおぼろげであり、被告人の反応の記憶もあまりないことを最終的には認めているのである(第二〇回公判)。

次に、Hは、公判廷において、前記のような自らの検察官調書の内容について、ビッグホーンの外にいるとき、Fが暗闇の中からぬっと出て来てHに対し低い声で「おい、三人いるぞ。」と言ったことはあるが、その場に他の者がいたかどうかの記憶はなく、これを被告人に伝えた記憶もないこと、Hと被告人がビッグホーンの車内で「本当にやるの。子供がいるんでしょ。」などと話した記憶がある旨の供述は、犯行に当たって被告人が実は嫌がっていたことを調書に残してやろうと考えて、検察官に対し別の機会の出来事を脚色して作為的に供述したこと、DかCから押し入って三人をやるんだという話を聞いた場所については記憶がなく、そのとき被告人が一緒に聞いていたかどうかは分からないこと等を証言しており(第八一回公判)、Hの検察官調書とその証言は、必ずしも一致していない。したがって、その信用性の判断には慎重を期する必要があるところ、Hの証言は、見方によっては、現在の被告人の立場に配慮してことさらに検察官調書の内容を後退させているのではないかとの疑問も生じ得るが、他方、坂本弁護士一家の家族構成に関する被告人の認識の点を除けば、H自身に不利益な内容も含めて、概ね検察官調書と同様のものとなっており、中には、検察官調書ではやや曖昧であったFの台詞について、単に家族がいるというのではなくて三人いるということだったと証言し、むしろ家族構成に関して供述をはっきりさせている点もある。そして、Hは、被告人が坂本弁護士一家の家族構成を知っていてもおかしくない状況ではあったと思う旨も併せて証言している。こうしてみると、Hの証言が被告人をかばうために敢えて虚言を弄していると認めることは困難であるといわざるを得ない。

また、関係証拠上認められる犯行当時の被告人の立場にかんがみれば、家族の人数について、被告人が知らされていないという事態も、必ずしもあり得ないこととはいえないものと考えられる。

さらに、被告人の公判供述も、大筋においては本件の事実関係を認めるものであり、右の点に限って事実を曲げて否認しているとみることには、慎重でなければならない。なお、被告人は、捜査段階においては、「Cから、坂本弁護士の顔写真の載った小冊子を見せられたと思います。」と供述しているが(乙オ八)、その供述は、必ずしも断定的なものではない。

3 結論

以上のような本件における具体的な証拠関係に照らすと、被告人が坂本弁護士方に立ち入る前の段階で、同弁護士一家の家族構成を本人、妻及び長男の三人である旨明確に認識していたと認定するのは、相当でないというべきである。なお、坂本弁護士方に立ち入る時点において、被告人を含め共犯者らの間において、もし家族がいるのであれば同弁護士を家族もろとも殺害する旨の犯意が形成されていたことは、これを認めるに十分であり、したがって、被告人の坂本春子及び坂本一彦に対する殺意の認定が妨げられないことは、先に述べたとおりである。

三  特殊な心理状態の主張について

弁護人は、本件犯行当時、被告人は、マハー・ムドラーという教義やポアの理屈などを絶対的に信じていたのであり、そうである以上、人間としての自然の感性から心の葛藤が生じたとしても、結局、Cを介してなされた乙川の指示に背くことは、絶対的に不可能だったのであって、社会規範に従って是非を弁別する能力を欠如していたに等しい一種特殊な心理状態にあった旨主張する。右は、その脈絡に照らし、情状としての主張と解されるが、念のため、被告人の責任能力について検討しておくと、関係各証拠によれば、本件犯行当時、被告人が乙川に対する宗教的な帰依心から、一種特殊な心理状態にあった様子はうかがわれるが、他方、完全な責任能力を肯定することができないほど被告人の弁別能力又は行動能力が影響を受けていたものでないことは、本件証拠上優に認められる。したがって、本件犯行当時の被告人について、心神喪失ないし心神耗弱を認定する余地はないというべきである。

第二  松本サリン事件について

一 被告人及び弁護人の主張

被告人は、当公判廷において、仮にサリンを吸入したとしても、人体への影響は鼻水が出る程度にすぎず、死者が出るなどとは認識していなかった旨弁解し、弁護人も、被告人はサリンの致死的な毒性につき認識しておらず、殺意を欠いていたものであるから、殺人罪ないし同未遂罪は成立しない旨主張する。

二  本件犯行及びその前後の事情

1 犯意に係る状況事実

まず、本件犯行に至る経緯、本件犯行自体及び本件犯行後の事実関係について検討すると、関係各証拠によれば、以下の事実が認められる。

(1) Gによるサリンの撒布の話

被告人は、判示第二の「犯行に至る経緯」の項(6)のとおり、平成六年六月二五日ころ、Gとともに長野地裁松本支部の下見に赴いたが、その際車内で、同人から、松本の裁判所を狙ってサリンを撒く旨を告げられていた。また、被告人は、同項(8)記載のとおり、平成六年六月二七日出発に先立ち、L及びMとともに、Gから、松本の裁判所にガスを撒いてくる旨を告げられていた。このように、被告人は、毒ガスであるサリンを噴霧するという本件犯行の概要をあらかじめ知っていたものである。

(2) 防毒マスクの使用

本件犯行に際しては、同項(11)のとおり、酸素ボンベ、ビニール袋、ホースなどから成る防毒マスクが準備されていたものであり、被告人らは、Dがサリンを噴霧している間、防毒マスクを装着して酸素ボンベから酸素の供給を受けていた。また、犯行後現場から逃走するに際し、被告人は、防毒マスクの上から眼鏡を掛けてサリン噴霧車を運転したところ、きちんと眼鏡が掛からず、焦点も合わない状態だったので、防毒マスクのビニール袋を一時外しても大丈夫であることをDに確かめた上で、眼鏡を掛け直すためビニール袋を外したが、そのときもサリンを吸わないようにするため息を止め、眼鏡を掛け直すや直ちにこれを被り直している。なお、弁護人は、手袋をしないなど肌を露出していた点を被告人の利益に援用するが、右の点は、皮膚からの吸収による致死的効果についての反論となり得るものにすぎない。また、弁護人は、本件防毒マスクは、密閉性等は考慮されておらず、不完全なものであった旨も指摘するが、そのような点は、防毒マスクの使用がサリンの毒性に関する被告人の認識をうかがわせる一つの状況事実であることを失わせるものではない。

(3) 噴霧時におけるDの行動

被告人は、同項(10)のとおり、サリン噴霧車の運転席にいたものであるところ、隣の助手席にいたDは、犯行に際し、いったん車から降りてコンテナの噴霧口を開けた上、助手席に戻り、被告人とともに防毒マスクをそれぞれ頭から被って酸素ボンベを開いた上、遠隔操作により装置を作動させてサリンの噴霧を行ったものであって、Dがサリンに直接触れたり、これを吸入したりしないように留意していたことは、傍目にも明らかであった。

(4) 犯行の計画性と組織性

本件は、サリン噴霧車をはじめとして数々の道具立てが準備されていたこと、動員された実行犯も教団幹部を含む総勢七名に上ったこと、被告人自身も下見に駆り出されていたことなどから、犯行の計画性と組織性が明らかであり、乙川、D、Gらがただならぬ犯行に及ぼうとしていることは、その準備及び犯行の過程を通じて、他の共犯者においても看取できる状態にあった。

(5) 妨害者の排除

実行犯の一部は、同項(8)のとおり、平成六年六月二七日出発に先立ち、Gから、サリンを撒いている最中に警察などが来て妨害した場合には、これを排除すべき旨を指示されており、しかも、排除行動の結果相手方を死亡させてもかまわない旨も告げられていたのであって、警察などに妨害されかねない重大な行動に及ぶことは、被告人を含む関係者間で当然の前提とされていた。なお、サリンを撒いている最中に実行犯の一部が車外に出て妨害を排除することが考えられていた事実は、ある程度サリンに曝露されても大事には至らないことが前提とされていたことを意味するとの見方もあり得るが、サリンを浴びないような位置で妨害排除のために行動することも想定されるところであって、右の事実をもって、サリンの致死的な毒性に関する認識を欠如していたものと結論付けるのは、相当ではない。

(6) ナンバープレートの偽装

被告人らは、同項(11)のとおり、犯行に際し、アップルランド駐車場において、あらかじめ作成しておいた偽造のナンバープレートをサリン噴霧車とワゴン車に貼り付けており、右のような偽装工作を必要とする後ろめたい犯行に及ぶことは、被告人を含む関係者の間で当然の前提とされていた。

(7) 坂本弁護士一家殺害事件の体験

被告人は、判示第一のとおり、かつて坂本弁護士一家殺害事件に関与し、教団が乙川の指示に基づき、いともたやすく人命を奪う挙に出ることを自ら体験していたものであるところ、今回の実行犯のうち、D、G、H及び被告人自身の四名は、坂本弁護士一家殺害事件の実行犯と共通していたものである。

2 検察官が主張するその他の事情

検察官は、以上のほか、サリンの致死的効果についての認識及び殺意に係る状況事実として、被告人は乙川の説法を聞くなどしてサリンが極めて高い殺傷能力を有する化学兵器であることを認識していた点、被告人は本件が殺人を容認する「ヴァジラヤーナの教義」に基づくものと受け止めていたからサリンの撒布が人の殺害を意図したものであることも必然的に認識していた点、被告人もHが配ったメスチノンを服用していた点を指摘している。関係証拠中には、検察官の主張に沿う趣旨のものも存在するが、しかし、その主張どおり断定するには、本件証拠上、なお足りないものが残る。したがって、右のような点については、これを認定せず、サリンの致死的効果についての認識及び殺意に係る状況事実として用いないこととする。

3  小括

以上の次第であって、前記二1(1)ないし(7)のような諸般の事情、すなわち、Gによるサリン撒布の話、防毒マスクの使用、噴霧時におけるDの行動、犯行の計画性と組織性、妨害者の排除、ナンバープレートの偽装、坂本弁護士一家殺害事件の体験に照らせば、本件犯行に際し、被告人が少なくともサリンの致死的な毒性につき未必的な認識を有していたことは、これを十分推認することができるものというべきである。

三 被告人の供述

被告人自身も、捜査段階においては、犯行時にサリンの致死的効果についての認識及び殺意があったことを認める内容の供述をしていた。すなわち、被告人は、検察官に対する供述調書(謄本)において、「私達がサリンを撒いた時に、私達のメンバーが毒ガスのサリンを吸って死んでしまってはいけないので、その時に治療に当たるために、H、Kがついてくることになったと承知しました。」(乙イ一二)、「松本の裁判所に向けてサリンを撒けば、裁判所にいる人がサリンを吸って死んでしまうということが分かりました。」(乙イ一三)、「裁判所宿舎だけでなく、その付近の住民も、サリンを吸って死ぬかも知れない。そうなると、大変なことになると思い、Dがサリンを撒き終わったら、すぐにトラックを発進させて逃げようとだけ考え、周囲を見回す余裕もなく、ただ前方だけ見ていました。」(乙イ一四、乙イ一五)などと供述していたのである。特に、右各供述と同時期になされた「実際にサリンを吸って人が死ぬところを見たことがなかったので、どの位の人がサリンを吸って死ぬのかということも、具体的に実感として考えることもありませんでした。」(乙イ一三)との供述は、被告人にとって利益な側面も含むものであり、事件前における被告人の率直な認識を述べたものとして、自然に了解できる内容となっている。また、やはり右各供述と同時期になされた「個人的には、サリンを撒いて人の命を奪うようなことを本当にしていいのかとも思いましたが、オウム真理教を信仰していた私としては、オウム真理教で実践することは、全ては魂の救済のためであり、人類の救済につながることである。オウム真理教の実践することに疑念を持つことは、サマナとしての私自身の心の汚れだと思い、オウム真理教がサリンを製造して裁判所に撒こうとしていることが分かっても、それに反対して止めるなどという考えも起きませんでした。」(乙イ一三、乙イ一四)との供述は、犯行に臨んで自然に湧き起こってくる疑念を教義に照らして打ち消す心理過程をありのままに述べたものと理解される内容となっている。さらに、被告人は、捜査段階において、取調官から、ディスカウント店に立ち寄った際サリン予防薬であるメスチノンを服用したのではないかと質問されたのに対し、そのような薬は見た覚えも飲んだ覚えもないと供述しており(乙イ一四)、サリン予防薬の服用という殺意と密接に関連する事項について、記憶にない旨の言い分を通しているのであって、捜査官に誘導されるまま迎合的に供述していた様子はうかがわれない。こうしてみると、右のような一連の供述について、その信用性を疑うべき証跡は存在しないものというべきである。この点について、被告人は、公判段階において、「甚大な結果が生じたことへの罪悪感、長時間の取調べに嫌気がさしていたこと、公判廷で再度検察官と話せばよいと考えたことから、調書に署名した。」旨供述する。しかし、殺意の有無につながる重大な事項につき、自己の認識と異なる内容となっていることに気付いていながら、あえてその訂正を求めなかったというのは不自然であり、サリン予防薬の服用に関し言い分を通した前記態度とも整合しないものといわざるを得ない。被告人は、公判段階においては、「本件犯行の際にはいたずらをしに行くような気持ちであった。」などと供述するが、捜査段階の供述と対比して、信用性に欠けるものといわざるを得ない。

四 結論

以上のような本件犯行及びその前後の事情並びに捜査段階における被告人の供述内容にかんがみれば、遅くとも噴霧が開始されるまでの時点において、被告人がサリンの噴霧によって付近住民を死亡させる事態のあり得ることを認識しながらあえてこれを認容していた事実は、優に認めることができる。本件における具体的な証拠関係の下においては、被告人について確定的な殺意の存在を認定することはできないが、右のような未必的な殺意の存在は明らかというべきである。したがって、殺意がなかった旨の主張は採用できない。

第三  サリンプラント事件について

弁護人は、松本サリン事件の後、被告人は、一時芽生えていた乙川次郎に対する不信感が薄れ、坂本弁護士一家殺害事件及び松本サリン事件はやはり救済の一環だったのではないかとの考えが強固になって、乙川への帰依が深まっていたため、ワークへの関与を拒否できるような心理状態ではなく、期待可能性が欠如したに等しい状態にあった旨主張する。右は、その脈絡に照らし、情状としての主張と解されるが、念のため、期待可能性の点について検討しておくと、関係各証拠によれば、本件犯行当時、被告人が乙川に対する宗教的帰依心から、ワークへ関与することとした様子はうかがわれるが、他方、ワークへの関与を拒否することが期待できないほど心理的な拘束を受けていたものでないことは、本件証拠上優に認められる。したがって、本件犯行当時の被告人について、期待可能性の欠如を認定する余地はないというべきである。

(法令の適用)

被告人の判示第一の一ないし三の各所為は、いずれも平成七年法律第九一号による改正前の刑法(以下「刑法」という。)六〇条、一九九条に該当する。同第二の所為のうち、各殺人の点はいずれも刑法六〇条、一九九条に、各殺人未遂の点はいずれも刑法六〇条、二〇三条、一九九条に該当する。同第三の所為は、刑法六〇条、二〇一条に該当する(なお、被告人は途中から犯行に加わったものであるが、判示犯行の罪質、態様、特に行為の組織的一体性等にかんがみると、被告人についても判示の全期間について罪が成立するものと解するのが相当である。)。判示第二は、一個の行為が二個以上の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の最も重い伊藤某に対する殺人罪の刑で処断する。後記情状にかんがみ、判示第一の一ないし三の各罪及び判示第二の罪については、各所定刑中いずれも死刑を選択する。以上は、刑法四五条前段の併合罪であるところ、刑法四六条一項本文、一〇条により、死刑を選択した各罪のうち犯情の最も重い判示第一の一の罪の刑で処断し、他の刑を科さないこととして、被告人を死刑に処する。訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

一 本件の特質

本件は、坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件及びサリンプラント事件という三つの事件で構成されている。右各犯行は、いずれも乙川が企図し、教団組織を利用して実行したものであり、被告人としては、乙川及び教団幹部から命ぜられるままに、教団における出家信者の仕事をこなしたものであって、そこに被告人固有の犯行動機は存在しない。そして、各犯行における被告人の立場は、乙川や教団幹部に比べれば、従属的ないし追随的なものであったということができる。しかし、乙川が企図した本件各犯行は、いずれも我が国犯罪史上に類をみない誠に凶悪な事案であった。もとより、被告人は、本件各犯行について当初からその全貌を知らされていたわけではなかったが、各犯行について企図の概要を認識した後も、共犯関係から離脱することなく、自らの意思で各犯行に加功したものである。その結果、坂本弁護士一家殺害事件では三名の人命が奪われ、松本サリン事件では七名の人命が奪われるとともに四名の人命が危機に瀕し、また、サリンプラント事件では、更に膨大な数の人命を一挙に奪う無差別大量殺戮計画が進行していたものである。これらの各犯行に加わった被告人の刑事責任は、甚だ重いといわざるを得ない。

以下、刑の量定に際し重要と考えられる事情について、個別的に検討していくこととする。

二  坂本弁護士一家殺害事件の犯情

1  事案の概要

坂本弁護士一家殺害事件は、被告人が乙川次郎及び他の教団信者らと共謀の上、坂本弁護士とその家族を殺害しようと企て、深夜同弁護士の自宅において、六人掛かりで同弁護士、その妻坂本春子及び長男坂本一彦の合計三名を殺害したという事案である。

2  犯行の計画性

被告人らは、あらかじめ謀議を遂げ、犯行時に着用する衣類を購入するなどしかるべき準備を整えた上で犯行に臨んでいる。当初の計画では、帰宅途中の坂本弁護士を襲って殺害することとされていたが、計画の杜撰さからその実行が不可能と判明するや、たまたま同弁護士方の玄関口ドアが施錠されていなかったことを奇貨とし、同弁護士方の居室内で同弁護士をその家族もろとも皆殺しにすることに計画を変更し、人が寝静まる時間帯まで待機した上、その計画を決行している。このように、本件は、事前謀議に基づく計画的な犯行であって、被告人自身についても、計画的犯行に加担したとの評価を免れることはできない。

3  犯行の態様

犯行の態様は、深夜、密かに無施錠の玄関口から坂本弁護士方の内部に至り、寝入っている被害者らの様子を確かめた上、屈強な六名で突然襲い掛かり、異変に気付き必死に抵抗する同弁護士とその妻に対し、こもごも判示のような強烈かつ執拗な攻撃を加えて絶命させ、いたいけな長男に対しても、鼻口を塞ぐなどして絶命させたものである。死因とはなっていないが、坂本弁護士とその妻に対しては、塩化カリウムの注射行為も行われている。人がもっとも安堵できるはずのその居宅における殺害状況は、誠に凄惨であり、稀にみる凶悪な犯行である。被告人は、坂本弁護士に対し、身体の上に馬乗りとなり、その顎部を目掛けて手拳で立て続けに六、七回強打し、春子に対しても、腹部を膝落としで強打し、更にFが坂本弁護士の頸部を締めつけている際、その足を押さえるなどしているのであって、実行行為において被告人が果たした役割は大きい。弁護人は、春子に対する膝落としは、被告人が同女に右手薬指を相当な力で噛まれたため、反射的にこれを振りほどこうとして行ったものである旨指摘するが、もともと被告人らが殺害目的で襲撃中に生じた出来事であってみれば、右のような点は、膝落としの攻撃を加えた契機として特段酌むべき性質の事情とは認められない。また、被告人は、一彦については、春子の「子供だけは」という言葉は聞いたものの、その存在には気付かず、全く手を掛けていない旨を供述しており、弁護人も、この点を指摘しているところ、関係各証拠によっても、右のような被告人の供述を排斥すべきものとは認められない。しかし、坂本弁護士方に立ち入る時点において、被告人を含め共犯者らの間において、もし家族がいるのであれば同弁護士を家族もろとも殺害する旨の犯意が形成されていたことは、本件証拠上明らかであるから(前記「補足説明」の項第一の二)、この点は、情状として考慮し得るとしても、おのずから限界があるといわざるを得ない。

4  犯行の動機

本件犯行の動機は、坂本弁護士の活動が教団にとって邪魔であったため、これを亡き者にしようと図ったことにあった。坂本弁護士は、判示のとおり、教団へ出家した信者の親から平成元年五月ころ子供を脱会させたい旨の相談を受けたことを契機として、教団の問題点を看取し、機会あるごとに出家した未成年者が行方不明になっていることや教団の布施と称する寄付制度の不当性などを指摘するようになり、同年一〇月二一日には同弁護士の尽力により、出家した信者の安否を気遣う親達の集まりが被害者の会として組織化されるに至った。乙川は、坂本弁護士を中心とする右のような反オウムの運動が、総選挙における立候補を含め、組織の飛躍的な拡大をめざす教団にとって脅威になるものと感じ、本件犯行を企図したものであった。坂本弁護士の活動は、弁護士がその職責として行っていた正当な法律事務の一環であり、これに対し、同弁護士とその家族を殺害して対抗するがごときは、言語道断というほかはない。被告人は、乙川らが本件犯行を企図した経過について詳細を知る立場にはなかったものと認められるが、Cから「坂本弁護士をポアする。」旨告げられ、同弁護士を殺害することを十分理解した上で、本件犯行に関与したものである。被告人が本件犯行に関与した背景には、教団のためであれば殺人も正当化され、かつそれが殺害される者のためでもあるなどと説く乙川の特異な教えが存在しており、被告人が若干の疑念を感じながらも、結局これに同調したという事情があった。しかしながら、その教えは、所詮、宗教的色彩を仮装した身勝手の極みというべきものであり、一般社会において通用しないことは論をまたない。右のような教えに同調して本件犯行に及んだことをもって、動機面で酌むべきものがあるなどとは到底いえない。

5  結果の重大性

(1) 坂本弁護士は、昭和三一年四月八日、神奈川県横須賀市で出生し、東京大学法学部を卒業後、昭和六二年に弁護士となり、横浜市所在の法律事務所に勤務していたが、教団の不正に対抗すべく弁護士として奔走し始めた矢先に、本件犯行により理不尽にも突然生命を奪われることとなった。(2)坂本春子は、昭和三五年二月二四日、茨城県那珂郡大宮町で出生し、立教大学社会学部を卒業した後、法律事務所の事務員として稼働し、その後昭和五九年に坂本弁護士と結婚したものであり、(3)坂本一彦は、昭和六三年八月二五日、坂本弁護士と春子の間に第一子として出生し、本件当時は生後一歳二か月余りの幼児であったが、春子及び一彦は、犯行計画の変更に伴って襲撃の対象になり、同弁護士とともに生命を絶たれることとなった。真面目な社会生活と家庭生活を営んでいた右三名に対し、非業の死をもたらした本件犯行の結果は、余りにも重大である。遺族の被害感情が厳しいのは、当然である。

6  犯行後の状況

本件においては、犯行後の状況も、犯情として軽視し得ないものがある。被告人らは、本件犯行の直後、犯跡を隠蔽するため、被害者三名の遺体を現場から運び出し、長野県内に一彦の遺体を、新潟県内に坂本弁護士の遺体を、富山県内に春子の遺体を、それぞれ穴を掘って埋めている。被告人は、春子の遺体を埋める行為には直接加わっていないが、前後一連の行動をともにしていた状況に照らせば、右の行為についても関与がないとはいえない。以上のように、各遺体が本件犯行現場から運び出されて遠く離れた地の土中に隠されたため、被害者三名の安否を含め、本件犯行の全貌は、その後長期間にわたって容易に解明されないこととなり、遺族及び関係者に多大の心痛を生じさせることとなった。本件においては、被害者三名に対する死体遺棄の罪などは起訴されていないところであり、したがって、死体遺棄の点を実質上処罰の対象とすべきでないことは、もとより当然であるが、他方、本件犯行の犯情という観点からは、やはりこれらの点も無視することはできないというべきである。

7  被告人に固有の事情

被告人は、乙川の指名により本件犯行に加わることとなったが、被告人の役割は、元々従属的かつ追随的なものであり、当初の計画においては、帰宅途中の坂本弁護士を襲撃する際、一撃で倒すことが被告人の役割とされていたのであって、直接の殺害行為は、他の共犯者において実行することが予定されていた。ところが、計画の変更に伴って、被告人も殺害の実行行為を直接担うこととなったものであって、いわば成り行きに従って役割がいっそう深刻なものへと変わっていったという事情があった。また、被告人は、本件被害について格別慰謝の措置は講じていないが、他方、本件犯行の事実関係を概ね認めて、被害者や遺族に対する謝罪の意思を述べており、現時点では反省の態度が認められるところである。

三  松本サリン事件の犯情

1  事案の概要

本件は、夜間、長野県松本市の住宅街において、密かにサリンを噴霧して付近住民の無差別大量殺戮を図り、その結果、サリン中毒により七名の住民を死亡させ、四名の住民に重篤な傷害を負わせたという事案である。

2  犯行の計画性

本件に際しては、あらかじめサリン噴霧車が特別に製作されたほか、防毒マスク、偽造ナンバープレート、サリン中毒の予防薬や治療薬、変装用の作業服等が準備されている。また、異なるメンバーによって事前に二回の下見が行われ、邪魔が入った場合に備えて武道に長けた者が警備役として動員されるなどしている。犯行の組織的な計画性が顕著に認められる。

3  犯行の態様

本件においては、化学兵器に使用される猛毒のサリンが住宅街の駐車場から大量に噴霧され、これが風に乗って付近一帯へと拡散している。当時その周辺にいた者は、誰もが毒ガスの脅威にさらされたと評し得るのであって、攻撃の無差別性が特徴的である。

4  犯行の動機

乙川次郎が、都市部の人口密集地域でサリンの噴霧実験をしようと企てたのは、教団で生成したサリンの殺傷能力を知るためであった。人命軽視も甚だしく、更なる無差別大量殺戮への布石であった点においても、誠に凶悪な犯行といわざるを得ない。また、乙川がその標的として長野地裁松本支部の裁判官らを選んだのは、教団に係る民事訴訟の経過等から同支部の裁判官らが教団に敵対しているとみなし、担当裁判官らを殺害して教団に不利な裁判を回避しようと図ったものであった。司法制度を根底から否定する悪質な謀略であるといわざるを得ない。

5  結果の重大性

本件犯行により、七名の住民が死亡し、四名の住民が重篤な傷害を負っている。死亡した被害者のうち、(1)伊藤某は、薬剤師の資格を有し、製薬会社に勤務し、勤務の都合で松本市に居住していた二六歳の青年であり、(2)阿部某は、信州大学経済学部に在学していた一九歳の大学生であり、(3)安元某は、信州大学医学部に在学していた二九歳の大学生であり、(4)室岡某は、半導体製造装置関係の会社に勤務し、勤務の都合で松本市に居住していた五三歳の会社員であり、(5)瀬島某は、登山を趣味とする関係で松本市に移り住み、会社で事務員をしていた三五歳の女性であり、(6)榎田某は、生命保険会社に勤務し、その寮に居住していた四五歳の会社員であり、(7)小林某は、電気関係の会社に勤務し、長期出張で松本市に居住していた二三歳の会社員であって、いずれも教団とは何ら関係がないものであった。被害者らは、平穏な日常生活の過程で突如本件被害に遭ったものであり、遺族の受けた衝撃は大きい。また、傷害を負った被害者のうち、(1)河野某女は、一命こそとりとめたものの、蘇生後脳症となり、未だ意識の回復をみない状況にあり、(2)河野某、(3)吉本某、(4)西川某も、それぞれ長期間にわたる加療等を余儀なくされている。当然のことながら、被害感情はいずれも厳しい。また、本件は、付近住民に多くの深刻な被害をもたらした事件であり、その真相を早期に解明することが困難であったことともあいまって、社会に大きな衝撃と不安を与えたものである。

6  被告人に固有の事情

被告人は、サリン噴霧車の運転を担当し、同車を現場まで運転し、噴霧後はこれを運転して速やかに逃走するなどしており、本件犯行において不可欠の役割を果たしている。そして、本件被害について、被告人は格別慰謝の措置を講じていない状況にある。

しかしながら、他方、被告人は、Gから言われるままに右のような行為を担当したものであり、本件犯行の首謀者である乙川やサリンの噴霧を担当したDら教団幹部と比較すれば、被告人の果たした役割は、従属的かつ追随的なものにとどまっている。また、先に判示したとおり、被告人についても、殺意の存在は認められるが、本件犯行前においては、サリンの致死的な毒性に関する被告人の認識は確定的なものではなく、本件のような重大な被害が生ずることを被告人があらかじめ明確に予測していたとは認め難い。さらに、被告人は、本件犯行の概要自体は、これを認めているところであり、遺族や被害者に対する謝罪の意思を述べており、反省の態度が認められる。

四  サリンプラント事件の犯情

1  事案の概要

本件は、無差別大量殺戮を目的として、乙川らが教団内に自前の化学プラントを建設し、猛毒のサリンを大量に生成しようと企てた殺人予備の事案である。

2  犯行の態様

乙川らは、教団の豊富な資金を駆使し、専門的な知識を有する信者を動員して、プラントの設計及び設置、薬品の調達、プラントの稼働等を組織的かつ計画的に行っており、極めて大掛かりに事を進めていた。このプラントでは、七〇トンに及ぶサリンの生成が計画されていたものであって、これが生成された場合にもたらされる害毒は、はかり知れないものがある。実際には、プラントにおいてサリンが大量に生成されるまでには至らなかったが、既にサリン生成の工程が確立されていたこと等にかんがみれば、大量生成の危険性は現実的なものであったと認められる。また、本件犯行の過程では、誤って化学物質を噴出させる事故を起こし、第七サティアン付近一帯に異臭を蔓延させて、住民に多大の不安を与えたこともあった。乙川らは、教団に対する批判が高まる中で、あえて無差別の凶悪なテロ行為をもくろんで本件犯行に及んだものであり、その反社会性は尋常ではない。さらに、乙川らは、教団が松本サリン事件に関与していることを示唆するような記事が新聞に掲載されるや、サリンプラントの実体を隠すため各種の罪証隠滅工作を行っており、その犯行は、反社会的であると同時に、陰湿かつ狡猾でもあった。

3  被告人に固有の事情

被告人は、乙川の意を受けた教団幹部らの指示に従い、動員された者の一人として、与えられた作業を行ったものであって、共犯者の中にあっては、その立場は、従属的かつ追随的なものであった。また、被告人は、犯罪の成否は別として、実際に本件犯行に加わったのは、平成六年七月ころからであり、現実的な関与が部分的であったことは、犯情として斟酌すべきものと考えられる。しかしながら、他方、被告人は、松本サリン事件に関与してサリンの致死的な毒性を十分認識していたにもかかわらず、自戒することなく、サリンに係る本件犯行に加わったものであり、その点で犯情極めて悪質といわざるを得ない。

五  被告人のために斟酌すべき事情

既に指摘したとおり、被告人は、本件各犯行に従属的かつ追随的に参加したのであって、首謀者ないしこれに準ずるような立場にはなかったものである。その意味で、被告人の刑事責任は、首謀者らに比して相対的に軽いという一面がある。

乙川らは、被告人が教団の教義を信じ、社会生活を捨てて出家と称する教団中心の生活に入っており、乙川らの下で指示されるままに行動する状況にあったことを巧みに利用し、本件各犯行の実行行為者の一人に加えたものであった。被告人には、元来犯罪的な傾向はうかがわれないところであり、乙川らから任務として指示されることさえなければ、本件各犯行のような凶悪な犯罪に関わることはなかったものと考えられる。

また、被告人は、現時点においては、本件各犯行について反省しているものと認められる。この点については、公判段階で被告人が松本サリン事件について犯意を否認していることや、被告人が証人として他の公判に出廷した際証言を拒絶した時期があることなどから、未だ反省していないのではないかとの見方も存在する。しかしながら、事案にかんがみ、多数回にわたって公判期日を重ねつつ、十分に時間をかけて詳細に行われた被告人質問における供述を全体としてみれば、現在被告人が本件各犯行について反省している様子は、これを認めることができる。被告人は、平成一一年一二月一五日付けの上申書において、オウム真理教の教義及び本件各犯行に関する現在の心境を詳しく述べているが、そこにも被告人の痛切な反省悔悟の気持ちが現れている。また、被告人は、公判審理を終えるに当たり、最終陳述の手続において、「乙川ではなくて、自分の感性を信じるべきであった。」旨述懐し、後悔と自責の念を改めて述べているところである。

そして、被告人には、これまでに前科前歴はない。犯行時の年齢という観点からすれば、坂本弁護士一家殺害事件の際には、被告人は未だ二二歳の若さであった。さらに、被告人の両親及び関係者が情状証人として公判に出廷し、被告人のために証言したほか、多くの友人知人等が被告人のために嘆願書を作成しているところである。

これらは、被告人のために斟酌すべき事情であると考えられる。

六 被告人の刑事責任

そこで、以上を前提として、被告人の刑事責任について検討する。

本件各犯行に関する被告人の刑事責任は、それぞれに重大であるが、被告人自身が実際に果たした客観的な役割及び被告人の主観的な犯意の内容にかんがみると、被告人については、坂本弁護士一家殺害事件の刑事責任が特に重要である。それに加えて、被告人は、同事件を敢行した平成元年一一月以降も、引き続き教団内に身を置いて過ごし、平成六年六月には松本サリン事件を敢行し、同年七月ころからはサリンプラント事件に関与している。被告人は、乙川らに指示されるまま、次々と善良な人々の殺害計画を行動に移していったのである。このように、坂本弁護士一家殺害事件の後も、被告人が自戒することなく、松本サリン事件及びサリンプラント事件という凶悪な犯行を重ねていった事実は、看過することができない。被告人は、本件各犯行について良心の呵責を感じて葛藤することもあったと言う。しかし、結局のところ、全ては魂の救済のためであるなどと説く乙川の身勝手な教えを繰り返し自分に言い聞かせ、自然に湧き起こる疑念を封じ込めて、被告人は、殺人を犯しても恥じない破滅的な道を突き進んでしまったのである。

事ここに至るまでには、被告人が早期に真摯な反省悔悟をする機会は、少なからず存在した。坂本弁護士一家殺害事件は、弁護士とその家族が突然消息不明になるという特異な事案であり、社会の注目を集めながら、真相不明のまま、捜査は長期間にわたって難航していた。被告人は、教団を全面的に信用していたわけではなく、幹部らの言動を批判的な目で見ていたこともある旨供述しているが、同事件の捜査が難航している時期に、被告人が捜査機関に自ら真相を告白するなどして、事案の解明に協力することは、遂になかったものである。特に、平成二年四月には被告人の安否を気遣って富士宮総本部まで出向いて来た両親から、脱会して帰宅するよう促されるとともに、坂本弁護士一家が消息不明になって教団との関連が取り沙汰されている旨聞かされたことがあった。このとき、被告人は、両親が真相を知ったらどんなに辛い思いをするだろうかと考えて、激しく動揺したというが、被告人の動揺振りを察知した乙川から、前世の息子などと言葉を掛けられたことも影響して、引き続き教団内にとどまることとし、従前の態度を改めるには至らなかった。結局、被告人は、平成七年七月に潜伏先で逮捕されるまで、松本サリン事件及びサリンプラント事件を含め、指示があれば違法行為も辞さない生活を続けてしまったのである。

本件について、検察官は死刑を求刑しており、これに対し、弁護人は死刑を回避すべき旨を主張している。死刑は、各種刑罰の中でも最も峻厳な究極の刑罰であり、その選択に当たって極めて慎重な態度が要求されることは当然であり、諸般の事情を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも、一般予防の見地からも、真に極刑がやむを得ないと認められる場合に限って、これを選択すべきものと考えられる。弁護人は、被告人のために斟酌すべき事情の一つ一つについて詳細に指摘している。確かに、被告人については、斟酌すべき事情が存在する。しかしながら、弁護人の指摘に十分留意しつつ検討してみても、坂本弁護士一家殺害事件において、被告人が自ら行った行為の内容は、寝静まった坂本弁護士方を殺害目的で急襲し、被告人自ら同弁護士に馬乗りとなって手拳で同弁護士を強打し、次いで、被告人自ら坂本春子の腹部を膝落としで強打するなどしたというものであり、結局、共犯者とともに同弁護士一家の三名をその場で絶命させたのである。その行為は、余りにも残虐であり、非道である。右の点をはじめ、坂本弁護士一家殺害事件に関する被告人の刑事責任は、その罪質、態様、動機、結果の重大性、遺族の被害感情、社会的影響、犯行後の情状などいずれの点からみても、極めて重大である。これに加え、松本サリン事件及びサリンプラント事件をも敢行した被告人の刑事責任は、全体として更に重大である。本件各犯行において被告人がした行為の内容は、被告人のために斟酌すべき事情を凌駕しているものといわざるを得ない。罪刑の均衡の見地からも、一般予防の見地からも、本件について厳しく刑事責任を問うのは、誠にやむを得ないところと考える。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・永井敏雄、裁判官・中川正隆 裁判官平塚浩司は、転勤のため署名押印できない。裁判長裁判官・永井敏雄)

別表<省略>

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